昭和49年、前年からの石油ショックもあって国際物価が高騰し、国内でも燃料、油脂、繊維、食料、紙等の価格は軒並み暴騰した。政府は年初頭総理官邸に各業界代表などを集め、物価の抑制を要請し、当分の間、物価凍結できる品目の公表を求めた。
大手スーパーなどは競って何目あるいは、千品目以上の商品やブランドを公表し、マスコミは連日これを歓迎報道した。
結果としておこったことは、公表した商品やブランドはほとんど店頭から消え、代わりに値段の騰った代替商品や別のブランドが店頭に並べられた。
今回の米国のBSE問題に端を発した牛丼問題は、もちろんこのときの問題とは全く違う。しかし、輸入の急激な減少、価格や為替相場の急変に対して、企業がその商品やサービスの提供について、どのように供給責任を果たして行くか、という点については共通した問題を提供している。またこういう事態に当たって、消費者の対応のあり方は今後ますます重要になって行くであろう。 |