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山地 進 写真
食料・農林漁業・環境フォーラム副代表 、内外食料経済研究会代表
「幻の農林大臣」と吉田茂の機略
2006年4月1日 掲載

 「幻の農林大臣」という表題にひかれて読み進むうちに、第二次大戦直後のわが国政治の超級リーダーだった吉田首相(1878〜1967年)が、昭和21(1946)年、第一次内閣の組閣の準備を始めたとき、現下の最大の課題は、「食料不安の打開策」にあると考え、「救国の農林大臣」として、当時、最も著名な農業経済学者、東大の東畑精一教授(1899〜1983年)に白羽の矢を立て、行く先々へ追い回したということは、年輩の人たちには、よく知られた話だが、「幻の農林大臣」を書いた武見太郎(1904〜1983年、日本医師会長を長期間努めた実力者)によると、追い掛けたとかいうのは表向きの話で、実際は、銀座の武見診療所で、二人が会ったときの産物で、示し合わせたうえで、そういうパフォーマンスをしたのが実相だそうだ。

  なにしろ、コメ、食料がない。戦争が終わって、夜は少しは明るくなったが、占領軍はさらにどう出てくるか、不安が不安を呼ぶ毎日。そういう時だけに、有名教授への入閣交渉は、新聞もハデに扱い、占領軍も放っておけなくなる、と吉田は踏んだ。

  前半生を、外交官(中国、英国、伊太利など)として修業した吉田にとっても、それは一種の賭けであったに違いないが、結果は、そういう吉田の仕掛けが奏功して、GHQ(連合軍総司令部)が動き、呼び出しの電話に応じて、差し回しのジープで、吉田が参上すると、マッカーサー元師はじきじき、吉田に、「日本人は一人も餓死させない」と言ったので、吉田はさっそく、その夜(5月22日)、組閣をし、当然、「東畑農林大臣」は幻と化した。代わりに入閣したのは、和田博雄(農政局長、後年日本社会党委員長)だった。

  どうして、武見太郎が吉田茂の機略の縦横さを知っていたかというと、吉田は、牧野伸顕という「重臣」の女婿であり、武見もその縁戚に連なっていた関係からだが、それにしても、大マッカーサーを手玉にとって上手に使った吉田の手腕の冴えには、なにか日本人離れしたものがある。

  「幻の農林大臣」という文章は、東畑逝去後の東畑家午餐会(1983年)での武見のスピーチを採録したもので、「東畑精一先生の足跡」(1984年刊)に載っているが、WTO(世界貿易機関)農業交渉の最近の経過を見るにつけても、わが国農業が世界の農業と共生できる基盤づくりに、日本の政治指導者が、吉田茂のように、フレッシュな外交力、説得力の発揮を望みたいものである。

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