昨年の秋、新聞やテレビで、政府の備蓄倉庫やスーパーの店頭で山と積まれたお米の写真や映像が報道されました。わたしには、それが日本の米文化が根幹から崩れるかどうかの、最終章の始まりのように思えました。 お米については、以前から、消費の減退や輸入圧力などによって、危機的な状況が続いていました。それらを第一楽章、第二楽章とすれば、いよいよクライマックスがやってきたのです。
農水省が発表した昨年の作況指数は平年並みでしたが、余剰米はその前の年と比較して2.5倍となっています。
米余りのニュースの映像を見た人たちの感想を聞いてみると、大方の反応は「ブランド米まで余るくらいだから、日本人はわざわざお米を食べる必要はないと考えている」というものでした。
米消費に関しては、すでにマイナス条件は全部そろっているように思えます。
ここで、JAの方々にお願いしたいのは、オセロゲームで全体が黒になっている盤を、一手で白に変えてしまうように、マイナス要因を一つ変えることで状況を一変させるような、思い切った展開策を考えていただきたいということです。米の生産から流通まで熟知する。
そこで、米の個人消費を拡大するための一つの提案をします。
米消費が減少している要因として、欧米食が日常化したことと、社会的な現象として、消費者の生活が独居型に移行していることがあげられます。
単身居住者は、平成7年から17年の10年間に約300万人増え、1445万人になっています。
独居型といっても高齢者ばかりではなく、結婚しない若い人たちの間にも広がっているのです。
また、ダイエットをするために朝はフルーツだけという若い女性や、メタボリックシンドローム対策として、体重を減らすために米食を避ける中高年や、食の細る高齢者など、米から離れる人たちは増え続けています。
一時、「ごはんを食べると太る」と喧伝されました。でも、そんなことが間違っていることは、本誌の読者諸氏はご存じです。問題は一般家庭の食卓に、ごはんをいかにのせるかです。今までの感覚でははかれない、斬新な提案が求められます。 たとえば、米袋について考えてみましょう。
スーパーでは、主に5キロ入りのお米を売っています。でも、それすら高齢者には、重くて持って帰れないのが現状です。
わが家は7人家族で、4人の子どもがいます。育ち盛りのころは一升炊きで、一日に2回、お米を炊いていました。しかし、子ども2人は独立し、現在は、87歳の母と夫と大学生の下の子2人の5人暮らしで、お米の消費は以前より落ちています。大学の同級生たちは、ほとんどが1人か2人暮らしになっています。 食卓を囲んでの一家団らんは理想ですが、現実の生活はいやおうなしに独居化が進んでいるのです。
そこで申し上げたいのは、現在お米がどうやって流通しているか、どのように食べられているかを、まずよく調べてみて欲しい。 そして「お米ってなんだろう」というようなテーマで、お米シンポジウムを開催してみるのも、消費者の米消費拡大につながる方法だと思います。感謝の気持ちを持ってわたしは米袋を、一升、二升単位にして売ってみたらどうだろうかとお話ししています。 昔の尺貫法がなくなって、メートル法になりましたが、炊飯器だけはまだ一合、二合と量っているのです。日本のお米は、食味のいいものを一升単位で、しかも無洗米にしてほしいのです。 「主婦なのに米も研がないのか」とは、実際に経験したことのない人が言う言葉です。高齢になれば、なおさらお米を研ぐのはたいへんになってきます。
市販のお米は、おいしいだけでなく、家庭生活の実態に合わせたものにして欲しいのです。
また、一合入りの米袋も作っていただきたいと思います。無洗米で有機米で、おいしいお米の一合パックです。10個で一升分。ハンドバッグに入り、カップで量る必要がなく、炊けば30分で食べられるお米です。
都会のデパ地下では、毎日激しいお惣菜の販売合戦が繰り広げられています。家事の時間をやりくりできない人たちが増えているのです。一合パック米の販売は、独居型の生活者にとって朗報となるはずです。
米余りのもう一つの原因は、外国産米の圧力です。国内的にみれば、米の自由化に向けてのネットワークが「グローバル」という言葉のもとに張り巡らされています。「グローバル」に反対するのは、保守的で古い人間という否定的な刻印を押され、今の時代を生きていけないと思い込まされています。「米は、もはや野菜の一つにすぎない」とまで言い切る経済学者もいます。これでは、食べ残しても罪悪感など生まれません。
すでに中国では、日本の商社が日本向けの有機・無農薬の米づくりに着手しています。カリフォルニアやオーストラリアでも大規模な生産の準備をしています。
最近、フードマイレージという言葉がよく使われますが、これは環境に負荷を与えるマイナスのマイレージを輸入側の日本が貯めている状況で、それはいつの日か価格につけられてくるはずです。恩恵を受けるのは、日本ではなくアメリカなのです。
こうした流れに抗するには、「日本のお米はありがたい」と感謝しながらいただき、日本のお米がなくなる日を迎えてはならないと、まず国民が気づくことです。
日本のお米と米農家は、未来永劫、すばらしい日本の食文化として守っていかなければなりません。
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